被災ママ812人が作った子連れ防災手帖

2011年3月11日、わたしは出産して数日目だった。
屋内は無事で、停電も1日で復旧していても、産後の肥立ちがあまり良くなかった体と心は結構ダメージをうけた。ユラユラと揺れるのが目覚ましになる深夜の授乳は良い思い出ではない。

以前つとめていた会社にお願いをして、Twitterで知り合った津波被災者へダンボールいっぱいの靴を送ってもらったり、Amazonで被災地の「欲しいものリスト」から洋服を送ったりなどしていたが、小さな子供がいると、被災地へ支援活動へ行くこともできず、防災のための活動などへ参加することも難しい。

その後、様々な被災体験をインターネットや新聞、テレビなどで見る機会はあったが、壮絶な津波から生還した体験や家族を失った悲しみなど、どうしても大きく取り上げられるべき事象がおおく、どうやって生き延びれば良いのか、今どうやって生活しているのかということは非被災地には届きにくくなっていった。

そして2年が経過し、被災地の情報のほとんどは「でも頑張っています」という報道ばかりになった。

そんなときにTwitterで流れてきた情報でこんな本を購入した

被災ママ812人が作った子連れ防災手帖

被災ママ812人が作った子連れ防災手帖

とても良い本だった。
被災生活で何が大変かということが実際に被災されている812人の女性の視点から細かく解説されている。
特に気になっていた『実際に必要だった防災グッズ』については「ここまで必要なのか!」と思ってしまったが、「なぜ必要なのか」「この1つが無かったためどれだけ大変だったのか」がセットで書かれている、これは知っているのと知らないのとでは大違いであり、老若男女関係なく必要な知識だった。
「小銭」「通帳や母子手帳など重要書類のコピー」「ぴったりのサイズの子供靴」などなど盛りだくさんだ、残念ながら我が家の防災セットには1つも入っていなかった。
女性の視点から選びぬかれた防災グッズは子供を抱えた家族だけでなく、独り身の女性にも必要な情報が満載ではないかと思われる。


そして、もうひとつ重要なことは「どうやって生活してきたのか」ということだ。
「仲が良かった親子の遺体を見つけてしまった、なぜ一緒に逃げなかったんだろう」という自責の念。「新築の家もお宮参りの写真もすべて失った」という喪失感。「引っ越したばかりだったので被災証明ができず何ももらえない」という不公平さ。
震災初期→中期→後期→仮設住宅生活と、たった2年のあいだに家族の生活スタイルを変化せざるをえない中、すべてのストレスと戦い続けている沢山の人達の証言を読んでいくと、散々もてはやされた『絆』というキーワードの裏と表を見つめているようだった。

コレを機会に結婚に向かっているという証言もあったが、被災家族たちの中には「余震が怖く避難したため親戚と絶縁された」「夫の職場は動いているため離れ離れ」と一家離散するものも多い。疎開先でも「親族との同居生活がうまくいかない」「震災後から夫が塞ぎこんだままで離婚に向かっている」など『絆』ってそういう意味なのかと思ってしまうことも。


だれもが「じぶんに起こるとは思いもしなかった」というのが共通点だと思う。
きになる人は是非読んで、サバイバル術だけではなく、その後の家族のことについて自分の身に置きかえて家族と話をしてみたらいいのではないだろうか。

ちなみに「いつかやらなくちゃと思いながらも進んでない」「何をしたらいいかわからない」という人のための続編本

これも良さそうです。(まだ未読)